大判例

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松山家庭裁判所 昭和34年(家)500号 審判

申立人 松原勝法(仮名)

主文

本件申立を棄却する。

理由

申立人は、その名「勝法」(カツノリ)を「竜如」(リユウニヨ)と変更することの許可の審判を求める旨申し立て、事件の実状として、「申立人は、天台宗○○寺に生を受け、将来寺院主管者として活躍するつもりなので、父の名『一如』の一字『如』を継承し、かつは天台門宗規則にしたがい、今までの名『勝法』を『竜如』と変更したいから、その許可の審判を求める。」と主張した。

そして、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

一件記録並びに申立人本人尋問の結果によれば、

(1)  申立人の父は、松原「一如」といつて天台宗○○寺(○○市東○町五〇番地)の住職をしており、母は、家庭の主婦であつて宗教活動には従事していないが、一応僧籍に入つていて「千如」の名を称していること、

(2)  そこで申立人は、父母の希望にそい、将来父の跡を継いで天台宗の住職になり、僧侶をもつて身を立てたい所存であつて、記録添付の申立人作成名義の履歴書には、

「一、入室 昭和三十一年一月一日○○市東○町○○寺住職権僧正松原一如師ノ室ニ入ル

一、得度 昭和三十四年六月一日○○寺ニ於テ戒師松原一如師ヲ拝シ得度ヲ受ク

一、修験道 昭和三十年七月一日以降伊予国峰石土山登山修行セシコト五ヶ度」

という経歴の記載があり、事実昭和三十四年六月中天台宗の僧籍に登録済であること、

(3)  天台宗にあつては、僧籍に入つた者がその名を改める慣例があるので、申立人もその名「勝法」(カツノリ)を改めて父住職の名「一如」の一字をとつた「竜如」(リユウニヨ)にしたい希望を有しており、改名の上は宗教活動以外の日常生活においても新しい名を用いるつもりでいること

が認められる。

しかしながら、本件において申立人の名の変更を許すべきかどうかについては、種々の見地から慎重に考察することを必要とする。

おもうに、わが国の仏教諸派にあつては、本件の事案のように僧籍に入つた者が家庭裁判所に名の変更の許可の審判を求める例が多く、裁判所もまた比較的寛大にこれを認容するのが実務の取扱のようである。ところで、ひとり僧侶にとどまらず、特定の職業に従事する者がその職業社会における活動を行うにあたり出生届以来の戸籍上の名以外の「ペンネーム」、「雅号」、「芸名」等と呼ばれる別の称号を用いることは、わが国において文士、画家、芸能人等にもその例が多い。これらの称号の中には、殊更に奇をてらつたり外国人まがいの呼称を用いたりしていて戸籍上の名と同一でないことが明瞭なものもあるが、多くのものは、戸籍上の名としても十分通用し得るものであり、「ペンネーム」、「雅号」、「芸名」等が本名のように一般に誤解されている有名人も少くない。しかし、これらの文士、画家、芸能人達から戸籍上の名を「ペンネーム」、「雅号」、「芸名」等に一致させることの許可の審判申立がなされた例は、寡分にして聞かないのであつて、このことはおそらく彼等の多くが各自の職業社会の分野では特別の称号を用いながら、他の社会生活の分野では戸籍上の名を用いており、このように名称を使い分けをしていて、別段本人にとつても他人にとつてもさほど不便が生じていないことを物語るものである。そして、僧侶も各宗派の規約ないし慣例にしたがいその宗教活動の分野において出生届以来の名以外の称号を用いることは、もとより差し支えないところであるが、さらに進んで宗教活動と関係のない社会生活の分野においても是非同じ称号を用いなければ困るといつた事情は通常考えられないし、仏教各派の規約においてもそのようなことまで所属各僧侶に求めているものは、おそらくあるまい。もちろん特定の個人が社会生活の分野で称号を使い分けをすることがいろいろな意味で多少の不便を伴うことは、否定することができないけれども、大部分の日本人は、成長の暁において、いかなる職業に就いても出生届以来の戸籍上の名を変更することなく用いており、他人もそれが通例であると観念している結果、その名が個人の同一性を認識するところの重要な標識となつていて、社会秩序の維持に若干の寄与をしているという積極的意味がある点を考えると、ある種の職業社会に入つたからといつて戸籍上の名を変更することがしかく容易に許されてよいとは考えられない。戸籍法第一〇七条の第二項が「正当な事由」のある場合に限り名の変更を許すことができるとしているのも、こうしたところに根拠が存在するのである。以上のことは、文士、画家、芸能人等についてのみならず僧侶についても当然あてはまる事柄であつて、両者の間で特に取扱を異にすべき合理的根拠は乏しい。もつとも、僧侶が長く寺院の内部に閉じこもつていて、いわゆる俗世間との交渉を絶つており、生涯変わることがないと予想されるとか、それ程でなくても、特定の人が僧侶の職に固定してかなりの期間が経過し、その僧侶としての活動が社会生活の大部分を占めていて、今後も変わることが予想されず、当該宗門で用いている称号を宗教活動以外の生活分野でも全面的に用いることとしたところで、他人の注目を惹くことがなく、殆ど混乱を招くおそれがないような場合にあつては、その僧侶の戸籍上の名を変更することも許されてよいであろう。しかし、そうでもない場合における僧侶の名の変更の許否を決するについては、かなり慎重でなければならない。

そこで、再び本件の具体的事案に立ち帰つて申立人の名の変更の許否につき、考えることとするが、申立人については、本人が将来僧侶として身を立てるつもりであり、父母もそれを望んでいるという以外にその名の変更を許してもよい特別の事情は、なんら認められないのみならず、かえつて以下詳述するとおり否定的な事情が多く見られるのである。

すなわち、記録添付の戸籍抄本並びに申立人本人尋問の結果によれば

(1)  申立人は、昭和一九年一月一日生(一五歳)であつて、ようやく定時制高等学校の第一学年に在学しているにすぎないこと、

(2)  申立人の修行歴としては、幼少の頃より父から読経を習つているという以外に格別の宗教教育を受けたことはなく、天台宗の教義の何たるかについても全然知るところがないのであつて、前に一部引用した履歴書の記載にも多分の誇張があり、昭和三〇年一月一日○○寺住職松原一如師(申立人の父)の室に入つたというが、申立人本人は、その頃格別のことがあつたとは記憶しておらず、昭和三四年同寺において「得度」を受けたというが、「得度」とは何のことかすら全くわからず、「修験道」として「伊予国峰石土山登山修行」を五回したというが、石鎚山で「おつとめ」をしたのは父と一緒に登つた時だけで、他は友人達と修行に関係のない普通の登山をしたにすぎないこと、

(3)  申立人は、一応既に僧籍に登録済であるけれども父住職がまだ五一歳で健在のため、現在僧侶としての活動を特にしておらず、また、ごく近い将来においてそのような活動をするとも予想されないこと、

(4)  申立人は、改名後は日常生活においても「竜如」の名を用いるつもりでいるが、現在のところ学校でも戸籍上の名「勝法」を用いており、家庭においても父母は、申立人を右戸籍上の名で呼んでいること

が明らかである。

以上認定事実によれば、申立人がさしあたり日常生活において従前の戸籍上の名を用いていて困る事情は、全く認められず、その変更の許可を少くとも現在の段階で求めるのは、いかにも早急に失するとのそしりを免れない。またおよそ僧職をもつて身を立てようとする者は、その宗派の教義に相当程度通暁し、批判を通してこれを自己の思想体系に摂取した上、その教義に帰依しているというのが本来あるべき姿と考えるのであるが、未だ一五歳で高等学校の一年生の申立人にこれを要求するのは、難きを強いるゆえんであり、申立人本人は、将来の研鑚、修行によつてその域に達するつもりでいるとしても、未だ若年の申立人がいかなる方向に精神的成長を遂げるかは、にわかに予断を許さぬところであり、僧侶以外の職を望むようにならないとも限らず、これをあながち非と断ずることも相当ではないのである。しかるに、申立人が上述のような段階において直ちに従前の戸籍の名を変更するならば、その結果が申立人の将来の身の振り方に多少とも心理的制約を加える可能性もなしとしないのであつて、それは、申立人自身の利益のためにも決して望ましいこととは考えられない。ことに、申立人が今後呼称したい「竜如」という名が、僧侶以外の者の戸籍上の名としてはあまり例がないと思われるにおいては、益々その感を深くするのである。

以上詳述した次第で、本件名の変更許可の審判申立は、戸籍法第一〇七条第二項にいわゆる「正当な事由」を欠くもので理由がないと考えられるから、これを棄却することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 戸根住夫)

少年 F(昭一五・六・二生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は、自分は叔母を訪ねて行つたところ、上つてはいけないといわれたので面白くなく思い、二三日後叔母をおどかそうとして刃物を持つて行つたが、途中で悪いと気がついたので帰ろうとしたところ警察官に見付かつたのである、自分で悪いと気がつき帰ろうとした位であるから、このことでまさか少年院に送られるとは思つて居らず、保護団体に預けられる程度と考えていたのに、中等少年院送致の決定をされたのは不服であるというのである。

そこで関係記録を調査するに次の事実が認められる。即ち少年は幼少のころ実母に死別し、その同じ年、実父Gが応召出征したので爾来祖母、叔母の手許で養育され、父が復員した後引き取られて小学校に通学したが、Gが再婚してから家庭内が円満を欠くようになり、Gは少年を中央児童相談所に依頼して昭和二十四年五月○○○学園に入所させた。その後○○学園にも入所したが、少年はしばしば学園を逃走し、そのため両親との音信、連絡も絶え、双方所在がわからず、昭和二十七年三月には浮浪児として○○実務学校に収容され、孤児として待遇されていたところ、昭和三十一年四月両親の所在が判明し、実父の許に引き取られた。しかし長く両親と別れていたことと、継母に子供が生れたことなどから、少年と両親との間は以前にもまして折合が悪く、少年は実父の家に戻つて間もなく住込奉公に出るようになつたが、一個所に落着いて働くことができず、そばや、食堂、クリーニング店と数回勤め先を変えたあげく、昭和三十四年三月からは職に就かず浮浪の生活を続けているうち、本件非行を行うに至つた。少年は生来知力に軽度の欠陥あり、身体の発育も十分ではなく、その性格、行状は粗野、軽卒、遅鈍、怠惰、衝動的であり、家庭内においては実父、継母とも折合悪く、勤め先においてはしばしば雇主と喧嘩をするような状態であり、今回は実父Gにおいても少年を引き取り監護すること承諾せず極力保護施設に入所せしめることを希望している有様である。

少年の右のような知力、性格、行状、経歴、環境と本件の非行内容とを総合して考えると、少年を矯正善導するためには中等少年院に収容するのが適切な方法と認められるから、原決定は正当であつて本件抗告は理由がない。

よつて少年法第三十三条第一項により主文のとおり決定する。

(裁判長判事 中西要一 判事 久永正勝 判事 河本文夫)

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